名作紹介・「処女∞レイプ」 永遠の陵辱の飽和に終わりを

 処女には価値がある。それは検討するまでもない。
 なぜなら処女→非処女への移り変わりは不可逆だからだ。
 どれほど言い訳を並べ立てても、処女である少女Aと、非処女である少女Aがいて、他の構成要素(性格、容姿、来歴、技能)が全て同じだったとしたら、処女である少女Aのほうに高い価値が起こるのは当たり前だ。
 誰にもこのことは否定できない。

 ところで、フェティッシュという言葉の原義は、器物等人間に関係無いものに対する欲情である。パブロフの犬的な刷り込みであると言われることが多い。
 処女という言葉の重みをそんなもので説明しようなどと馬鹿げている。
 処女の持つ価値をきっちり歪んだ思考を持たずに価値と認識し、今まで保持したその女性への力量に対する評価をする者もいるだろう。
 処女が感じる性交時の激痛に惹かれる者もいるだろう。
 もちろん処女論者の多くは実は代償性処女性愛(造語)なのかもしれないが、何が言いたいかというと少なくとも、時間をループすることで処女を無限にレイプするという発想は、処女純粋価値論者のみに許されたイカれた思考だ。

・おかしいのはお前の頭の中だろ変態
 永久に続く11月1日の中に取り込まれた主人公は、自分がつい最近まで勤務していた女子学校の生徒瑞葉を、さまざまな方法でレイプし続けることを選ぶ。
 最初はただの性癖を満たす最高の餌としてしか瑞葉を見ていなかった主人公の感情は、やがて歪んだ情愛へと進んでいく。
 まだ見ぬ瑞葉を見たい。
 その思いを胸に、一切迷いなく強姦することだけに邁進する主人公。
 もちろんやっていることは全て犯罪である。
 しかし、一途なその姿は感動さえプレイヤーに与える。
 いや、これに感動を覚えない人間はどこかおかしい。

 では、彼は何かを手に入れることができたのだろうか?
 処女をレイプすることにしか興味がなく、どんなことにも無気力で、何もつかめなかった主人公の初めての渾身は、何かを彼に残したのだろうか?

・主人公が無限の世界で得たこと
 瑞葉を陵辱し続けてブッ壊し、主人公が得たものは、何もなかった。
 エンディングシーンは、些細なきっかけでループ世界を放棄することになって、瑞葉と楽しい世界が始まるかもしれないところから始まる。
 その「きっかけ」の描写においては、ループ世界では何も得られなかったことが、瑞葉の体の反応を全て知り尽くしたはずの主人公が、今までとは全く違った形で瑞葉と友人としてふれあい、笑顔、会話、活発さ、そういった全てのことに、新鮮味を味わい続けるエピソードによって強調されている。
 そしてループは終わった。主人公がこの「今日」がなくなってこのままループが続いてしまうのではないかと危惧したのとは真逆に、主人公が望んでいたとおりに。明日また「今日」の瑞葉に会えるように。

 しかしループが終えてなお主人公には何も残っていなかった。
 ループ世界での凌辱が仇となった。
 彼女は無意識下でループ世界の記憶を持っており、昨日あんなにも気を許せたはずの主人公を見て、パニック症状を起こしたのだ。

・全てのループ物は終焉せよ
 たとえばあなたが人生を自在にやり直すことができたとする。死ぬと自動で生まれた瞬間に戻る仕組みだ。
 あなたは大喜びでループを繰り返すかもしれない。
 もちろん世界は広大であり、あなた自身の生むバタフライエフェクトを考慮すると、あなたはおそらく何十兆年遊んでも遊び飽きないだろう。
 しかしやがていつの日かあなたは気付く、そろそろ何十兆年経ってきて、この世界にも飽きてきた。
 ああ、ここには明日はないし、明後日もない。ここは巨大な今日でしかない。
 いつの間にかあなたは自分が、同じ場所をぐるぐる回っているだけであることに気付く。
 どれほどの密度と範囲を持つループでも、そこからみちはなくなっていく。

 全てのループは、その構造的に知らないものを探し続けることはできない。
 どういう形でどういう期間でどういう条件で起こるループでも、その無限ループは永遠には、まだ見ぬものを見る体験をあなたに与えない。
 処女∞レイプの主人公はそのことを悟った。
 それはループ世界でのまだ見ぬことで、虚しい生を送る以前の主人公にとってもまだ見ぬことだったこと。
「『今日』したことは『明日』へ繋がり、『明日』したことは『明後日』へ繋がっていく」――

 人生をやり直したいと思ったことはあるだろうか?
 だが、全てのループには本質的に価値がない。
 仮にあるとしてもそれは、同じ処女を無限にレイプできる程度でしかない。

名作紹介・「パルフェ- chocolat second brew -」 世界は優しい、されど聖域を拡大せよ――

 「あなたの周りの世界は、あなたが思うよりちょっとだけ優しい」。

・世界はあなたが思っているよりほんの少しだけ際限なく優しい
 このゲームが語られる際、「あなたの周りの世界は、あなたが思うよりちょっとだけ優しい」という作中での言葉が取り沙汰される。
 暖かな人間関係。
 この世界にはひとりとして、許せないほどの嫌な奴は存在しない。
 たとえ嵌められて当て馬として使われたとしても*1、そこにあるのは当て馬として使われる当の相手との争いではなく競いでしかない。

 このゲームに苦闘は存在する。が、別に残酷な世界が描かれるとかそういうことはない。
 パルフェにおいては、見ず知らずの人間が、ご飯を奢るだけで在籍する学校の試験情報をペラペラしゃべるのだ。

 ちょっとだけ優しいという言い方は、逆説的にこの世界の際限なく優しい世界観を表現する。
 気持ち悪い言い方になるが、そもそも主人公高村仁からしてこの世界らしい優しさの塊であるといえる。彼が誰かに手を差し伸べるシーンは作中数えきれない。
 あるいは主人公が優しいから世界も優しくなるのか?
 優しい曲調のBGM、温かみのある背景、この世界ならどんな人間でもこの世界らしい人間になって、生きていけるのではないだろうか?

・位牌の神棚
 だがしかし、これらの優しい世界は、主人公仁にとっての聖域ではない。
 聖域とは、現実において傷ついた自分自身を休める場所だ。そして、どんなときでも何でもすると無言あるいは有言で約束しあわれた、関係性の集合体のことだ。全ての人間がそれを所持している。
 仁にとっての聖域とはなんだろう。
 それは、家族だった。

 高村仁は盲目的に家族をたいせつにするキャラクターとして描かれている。
 作中の描写だけでも、いつも位牌に手を合わせることを忘れないし、あらゆる場面で他のすべてに姉が優先している。
 そのことはヒロインたちに散々シスコンとからかわれるが、間違いなく彼はシスコンなわけではなく、もう生きて話せる家族が姉しか残っていないというだけなのだ。

 しかしここでよく考えてみたい。
 火事で焼失した姉との大切な家の焼け跡で、大切な位牌だけが焼失前は庭だった部分に転がっていて無事だった。
 そんなことがありえるだろうか。それをそんなこともあるんだなで済ませる人間がいるだろうか。庭に位牌を転がして保管する家がどこにある?
 今残っている僅かな聖域を、守ってくれったのは聖域の中の人間ではなかったし、その聖域を守った人間は、直後の混乱から聖域(姉)を守る中でないがしろにされた。
 その人間は仁がそういう人間だと分かっていたし、その上で力になりたいと思っていて、どうしようもなくて、そしてこれでもいいと思えるほど強くもなかった。
 以上のエピソードによって、聖域を盲目に大切にする。この考えだけでは、救われなかった人間がいたことが描かれる。
 そしてしかししかもにもかかわらず、際限なく優しいはずの世界すらも、その人間を救わなかった。

・聖域を越えて
 私がこの文で使っている聖域というキーワードは、「つよきす」と「真剣で私に恋しなさい!」から引いている。
 どちらも聖域……仲間との侵され難いモラトリアム間の居場所のことが、重大なテーマとして扱われている。
 つよきすは聖域のかけがえのなさと、そこからの成長を基本的に描いていると読める。
 つよきすに関しては特に問題はない。
 真剣で私に恋しなさい! では、主人公の聖域に入れてもらえなかったために、悲惨な人生を送ることになった少女が黒幕の一味として登場する。
 そして物語の最後に主人公直江大和は、解決したその少女の一件を踏まえ、一歩引いた立ち位置で友人として接され接していた親しい男友達を、改めて聖域に勧誘する。
 描かれたテーマは明らかに、「世界とは残酷だ、ゆえに聖域を拡大せよ」というメッセージだ。
 聖域の外の話であり、つよきすのような聖域の中で全てがなあなあになる*2、お伽話の裏側だ。

 ……なあ、当たり前すぎやしないか。
 僕たちは数百万年以上そうやって生きてきたし、たとえば地球と一緒に生まれてきたような菌類でさえ、厳しい環境に対抗するため集まりコロニーを作るのに。
 もちろん、だからどちらが優れているんだなどと言うつもりはない。私はタカヒロと丸戸どちらかを殺さなければならない場面になったら、熟慮の後に丸戸を殺す。
 しかし、少なくともパルフェは、似たテーマとして比肩されうる真剣で私に恋しなさい! に対し、テーマ設計において一歩先を行っていると言える。
 物語の最後に、高村仁は、直江大和のように聖域を拡大する。
 救えなかった人間を見て、聖域を拡大することによって物語が終焉するのだ。
 そこには明確なメッセージ性がある。
 ただし、真逆。
 そこにあるメッセージは、ともすればサイバーパンク並に倫理観が崩壊している真剣で私に恋しなさい! の世界観で描かれるものとは真逆であり、だからこそどこまでも手厳しい。

 パルフェのメッセージはたったひとつだ。
 「世界は優しい、されど聖域を拡大せよ」。
 もっとも優しい世界観のエロゲーが紡ぐ、もっとも鋭利で残酷な言葉だ。
 里伽子抄? 知らない子ですね……

*1:このゲームの始まりは、主人公がかつて開いていた店を、新規開店するショップモールの管理人的立場の人間が、そこで開店する自分の贔屓する店の二号店の当て馬として、しかもそれを隠して誘致することから話が始まる

*2:崩壊した人もいたが

名作紹介・「Merry X'mas you, for your closed world, and you...」 ――それが「あなたの」人間定義?

エロゲーの世界へようこそ!
 このゲームが始まるのは、主人公が段ボールを使って学校の理科室で風呂を作っているシーンからだ。
 なぜ風呂を作っているかというと、別に物理の自由研究で複雑な計算の末創りだされたものとか美術の工業デザインに片足を突っ込んだ課題とかそういうものでもなんでもなく、彼がどうしても風呂に入りたくなって、衛生のことを考えても一日一回の入浴は必要だと判断して、にも関わらず
 彼は学校を舞台としたエロゲーの主人公として当然のことながら学校の外へは出られないからだ。

・めりくりというエロゲを俯瞰するめりくりというエロゲというめりくり
 このゲームは、エロゲーに対するさまざまなお約束事に、ホラー的に、あるいはコメディ的に、さまざまな突っ込みを入れていく。
 まず主人公は、学校の外には出られない、なぜなら、外の背景が用意されていないから。
 端的に言ってしまえば、そういうメタフィクションネタを使ったギャグシナリオなのだと言ってしまっても差し支えない。
 どんな構えだよ。デッサンがおかしい。見ず知らずの他人をいきなりお兄ちゃんとか電波にも程があるだろ。デフォルメされたその平面の顔で、どうやってキスをしてるんだ。
 用意された人格に操縦され、困ったらはわはわとしか言わなくなる人工無脳じみたヒロイン。化物に襲われてぶっ飛ばされてもなぜか死なず、謎の力が目覚める俺。
 断言できる、このゲームはエロゲーマーなら間違いなく、プレイしていて失笑できる。

・やめろ相対主義を持ち出すな
 しかし実は、今紹介した、エロゲーをメタ的視点から抉りだしていくというキャッチーな「主題」は、枝葉にすぎない。
 このゲームはホラーであるのか。よくこのゲームが閉じ込められ系のホラーのバリエーションであると紹介されるように、ホラーであるのか。実際にいくらかギャグの範疇内で、エロゲーは狂気として描写され、それに伴って主人公の思考や行動は本物の狂気に満ちていく。その点でめりくりはホラーと紹介されることが多いことには納得がいくが、けれどホラーであることはテーマを内包しない。ホラーであるということはジャンルの区分けを決めるだけでしかないからだ。
 このゲームが持つほんとうのこと……幹、すなわちテーマは、その衒学的な文章の中にあるといえる。
 さまざまな用語群の散りばめられた、無駄に多学な主人公の一人称思考、無駄に多学な「まーき」とのテンポの良い会話。
 どちらも踊り出すほどに衒学的だ。読んでいるだけで面白い。
 もちろんこれらは面白さを生むだけのただのテキストの飾りではなく、その衒学的な磁界は、やがて一つの思考に収斂していく。
 「この世界は何だ?」 「(俺は/この世界は)何のために生まれてきた?」 「あの生物たちは人間か?」 いや、そもそも「俺は人間か?」
 人間とは、何だ。

・このゲームには結末が無いという人間は、
 クリスマスイブの夜に、このゲームは結末を迎える。
 作中作の、「めりくり!」としてのあらゆる伏線や問題は解決されなかったが、主人公の抱える問題は解決されて。
 主人公は、まーきとの対話の中で、人間の定義を見つけるのだ。
 そしてそれにともなった、世界の意義と、自分の意義も。
 それは、意識的無意識的であれ、誰もが対決するほんとうの試練であり、作中の言葉によれば「誰も目の前の相手が人間でないなどと思わないし、出会う人間相手にあなたは人間であるかないかなんていちいち宣言しやしない」が、その実この世界に生きる誰もが不安定な社会や不安定なアイデンティティのために、いつかは自分だけが人間だと思い込み、あるいは誰かを人間でないと思い込み、同時にその思考の歪さと戦わなければならなくなる。
 その試練に打ち勝つ事こそ、この物語の終焉だった。

 唯一の気がかりはまーきの存在だ。
 まーきはその二つの問題の解決に不可欠であるにも関わらず、まーきは(他の化物達と同じように)つくられた存在であり、世界の外の存在であり、デウスエクスマキナの手先であり、デウスエクスマキナそのものでもある。
 だから、いついなくなってもおかしくなかった。
 しかし、クリスマスの朝、まーきはそこにいた。
 少なくともしばらく――人が死ぬまでの間くらいには――の間は、まーきは消えていなくならないのだ。
 これをハッピーエンドと言わずになんというのだろう?
 これが、俺の、人間定義だ!!!!

マイナー名作紹介・「RURUR ル・ル・ル・ル」

・おねショタという頂点
 本筋とは全く無関係であるが、これだけは言っておきたい、おねショタは至高である。

・セックスによってSFとなる童話
 このゲームをプレイした人間がまず驚くことは、その珍妙な世界観と、それが全て色彩鮮やかなイラストで表現されていることと、まるで童話のような語り口だろう。
 章の合間合間にいちいち「何々なのでありました」と結んでくる、童話のような文体の童話がさし挟まれる。
 だから、RURURは童話であると言ってしまっても、実はそれほど差支えはない。

 しかし、この童話にはセックスがある。
 グリム童話は実は、のようなテーマの本を読んだことはあるだろうか。童話の本当の中身を聞いたことはあるだろうか。
 童話は基本的に、セックスが加わるだけで一気に、得体のしれない怪物じみた物語と化す。
 その恐怖は、あたかもいつまでも子供でいるのはやめろと言われているかのようなものだ。
 そしてその気持ち悪さはこのゲームをSFとする。
 SFとは単にサイエンスフィクションを指し示す言葉ではなく、SF(原義)作品全体になぜか共通して見られるあの精神を持っている作品群のことである。「あの精神」の定義はここでは避ける。

・子宮としてのエロゲー
 エロゲーには箱庭感があるとよく言われる。
 同じ背景、同じ立ち絵、同じ世界。
 無限に続くはずの世界は、立ち絵で表される限りで閉じてしまっているのだ。琴美が、坂の向こうは冥界であると信じたように。
 RURURの世界も、同じ背景、同じ立ち絵、同じ世界で構成されている。そしてかつ、他のエロゲーと比べ圧倒的に狭い。なにせ全てはたった一つの宇宙船なのだ。箱庭感というか箱庭なのだ。というか物理的に箱なのだ。
 当然、エロゲーに存在する箱庭感は、圧倒的に増幅され続ける。

 結果生まれるものはなにか。それは、子宮感とも言うべき全く新しい感触だ。
 空も、むしも、花も、草も、すべてはシロ姉が用意したもの。
 世界は全て人工的なもので、この世のたった一人の人間として、全ての者の愛を受ける。
 まんこみたいに穴開いて死ね、という発言は、本当に彼女をヤンデレであると証明するのだろうか?
 特に母親たるシロ姉の密かな狂気が、究極的に感じられただけなのではないか。
 逆に言えば、ありふれた下品なセリフが、それほどまでに狂気じみて聞こえるほどに、RURURの世界は子宮じみている。

 エロゲはいつかは卒業しなければならないものなのだろうか。
 エロゲが子宮であるならば、それは間違いない。
 だから、箱庭感がないエロゲが作られる必要がある。
 私は永遠にエロゲをやりたいからだ。
 そのために、子宮そのものであるエロゲーはたしかに必要だ。
 子宮であるエロゲーをやりたい人間が、そのエロゲーだけで満足し、それ以上の子宮を求めないために。

マイナー名作紹介・「時間封鎖」

 貴方は時間を止められたら何をするか。
 ある人は大好きな女の子を攻略するために力を使うと言った。
 ある人は女の子にありとあらゆるいたずらを尽くすと言った。
 この主人公は女という女を強姦し続けると言う。

・ストーリー概観
 少しの波乱はあるものの平凡な学生生活を過ごしていた主人公に、突然「お前だけの世界をやろう」という声が聞こえる。
 すると、次の瞬間主人公は時間を停止する能力を手に入れていた。
 この能力をマトモに運用すれば、強姦しても捕まりようがない。
 強い強姦欲求の不満足に悩まされ続けていた主人公は、多少の倫理感によるブレーキを感じながらも、自分の性欲を満たすことを選択する。

・抜きゲーとしての時間封鎖について
 まず、抜きゲーとして出来が良い。
 良い。
 最初の後腐れのないレイプも麻耶佳や小山内等知り合いへの関係が破壊されるレイプも良い。
 最高。

 その出来を大幅に増している一因として、プロローグにおいて「平凡な学生生活」がそれなりに丹念に描かれていることは特筆されうる。
 鎖-クサリ-と同じ手法が使われているといえる。*1
 レイプは元来取り返しの付かないものであり、ゆえに魅力があり、何かを取り返しの付かないものにするには積み上げるしかない。
 なるみおかずはそのことを、業界で五指に入るほどにわかっていた。
 この抜きゲーの魅力は、キャラクターの魅力だ。

・神野麻耶佳
 彼女はレイプ物としては珍しい、全力で主人公に抵抗するヒロインである。強姦への対抗として、本気で殺しにかかってくる。
 時間を止められる主人公にバイクで突撃するなど、少し展開に疑問符が浮かぶ場面があるが、時間が停まっているとしか思えない意味不明な現象に混乱し精神的に追い詰められた女子高生なりの、精一杯の殺意である。
 たまらなくエロい。
 主人公は華麗にレイプする。たまらなくエロい。
 優等生であり、運動神経もあり、おそらくクラスのヒロイン的立ち位置の小山内と親友であることから、間違いなくクラスの裏ヒロインである。たまらなくエロい。
 そして最後の最後に堕ちる。その匙加減。
 たまらなくエロい。

・浅河翔太
 常に自分の居場所がないという感覚に苛まれる、無感動で無感情な少年。怠惰で成績不良で出席態度が悪いが、積極的な非行を行うタイプではない。能力も低くない。ただひたすら無気力なだけなのである。
 時間封鎖能力を得ると水を得た魚のように強姦を繰り返す。
 それなりに手の込んだ強姦とそれに反する酔っ払った一人称は圧巻。彼の性格が非常によく描写されている。

・奈瀬優
 奈瀬優は、ヒロインの一人であり、主人公のライバルとして設定された存在である。
 そもそもこの主人公は根が優秀な人間で、時間停止という反則じみた力を得れば、優秀な警官である真堂を含め、誰も太刀打ちできないことは道理だった。
 だから、同じ時間封鎖の力を持つ彼女が作り出された。
 しかし、主人公は負けることを望んではいなかった。
 だから、奈瀬優は歯ごたえがある程度でしかない弱さだった。
 黒髪、寡黙、作法に厳しい茶道の名家、どこかユーザー側にとって、男にとって都合のいい設定ばかりなのは、言動全て、奈瀬優は、主人公の願望を叶えるための道具にすぎないからだ。
 奈瀬優のキャラクター性はすべて、主人公のキャラクター性の補強でしかない。特に素っ裸で男湯に入らせて羞恥責めした上でそのままふたりきりのイチャラブセックスをするというコントみたいな展開とか。

・主人公は救済されるか
 ミッドポイント以降に、時間封鎖の話は、プロローグ以外が全て、主人公が生きている世界とは別の世界において繰り広げられたものだということが判明する。
 かつその世界は、神工的な世界である可能性が高い。
 「お前だけの世界」とは、本当に「オレだけの世界」なのであって、だからこそ時間を止められるし、望めばライバル的黒髪の美少女だって与えられた。
 このゲームはさよならを教えてや書淫やスマガに連なる精神世界系モノだと言っていい。

 最後、主人公は帰還する。元の世界へ。これまでの全ての凌辱劇は、以上二つの設定により、倫理的に何の違反もない。主人公自体にも、あまり罪悪感に囚われる描写はない。
 ふざけた最後だ。しかし、そのレベルが救済という言葉にはふさわしい。

 麻耶佳編のラストで明らかになるのは、麻耶佳は幼いころ、いろんなことに一生懸命になる主人公を好いていたということだ。
 だからこそ、今の無気力な主人公を嫌悪し、憎悪さえする。
 彼女の情は圧倒的で、レイプに活力を見出した主人公に、昔の面影を見て自己嫌悪まで行う。
 そしてその主人公の努力は、いつも見ている幼なじみの女の子に、かっこうをつけるためのものだった。
 つまり、かつて二人は一つの機関だった。本当に、二人は二人を好きだったのだ。
 しかし芽生える強姦欲求。両親の不仲により芽生えた「ここはオレの居場所ではない」という感覚、見知らぬ女との間に醜悪な居場所を作り出す強姦という行為への渇望、主人公のほんとうの居場所だった麻耶佳への強姦。
 なんて美しい強姦。このゲームのこの二人より、美しい強姦は存在しない。それほどまでに完成された悲劇であり世界である。
 バッドエンドでは麻耶佳は主人公を受け入れるし、ハッピーエンドでは麻耶佳はもう一度強姦欲求と戦う際の活力になる。
 麻耶佳は、主人公の本当の居場所だったし、いつでも本当の居場所なのだ。
 たまらなくエロい。
 浅河と麻耶佳の未来は、今やきっと開かれている。

 なぜこの主人公が、わざわざ精神世界というご都合主義まで作られて、救済されなければならなかったか。
 言うまでもなく、この主人公は我々自身であるからだ。
 このゲームは、強姦という共通項を使ってプレイヤーを穿つ、救済譚にほかならない。

・レイプを否定的に描いたことについて
 前作処女∞レイプでは最終的にレイプは大したことではないという描かれ方で決着する。しかし、時間封鎖では、主人公が明確に自分の強姦願望は悪である、追いかける何かがあれば願望で目が眩むことはないはずだ、と一人称で認識する。
 だが、なぜ我々はエロゲーをやっていて、わざわざエロを否定されなければならないのか?
 そここそが時間封鎖の完成度を一段下げている原因と言わざるをえない。
 しかし同時に、そのことがあるからこそ、この物語がくじらっくすの一連の作品群に見られるような、救済寓話として成立していることを認める。
 この主人公は倫理を倫理として受け止める能力(最低限の知能)を持っており、強姦を肯定することができない。
 肯定できないものを肯定することは不可能だ。誰もが超倫理を持てるわけではない。胸を張ってその超倫理を公言できるかといえば、もっと難しい。そして個人レベルでそれをできても、やがて社会がその倫理を潰す。最低限の知能のない主人公を、我々は自分自身であると移入できない。
 やはり俺たちが救済されることはないのかもしれない。
 時間封鎖は限界を超えない。

*1:基本的にサスペンス物は犯人が殺している場面から入ることが多い。だが、鎖はそうはしなかった。そしてもちろん、平凡な日常から始めることもしない。加えて無論、衝撃的ではあるが無意味な開始はなさない

マイナー名作紹介・「こいびとどうしですることぜんぶ」

 貴方はヒロインが一人であるエロゲーと言われて何を思い浮かべるだろうか。
 私は「さかここ」(「さかしき人にみるこころ」)をまず思い浮かべる。
 誰かに嫌われることを由としない主人公「匂坂」が、ヒロイン「真柄亜利美」に嫌われているところから、嫌われている理由を掴み、恋仲になってハッピーエンド。
 イチャイチャ、かけあい、デート、二人の未来。
 そこには、控えめにいって、一人ヒロインゲーのすべてがあった。
 しかし、一つだけないものがあった。
 そこには終わりのないイチャイチャだけがなかった。

 付き合ってからのことを、こいびとどうしですることぜんぶほどまでに濃密に、エロゲー的に描いたエロゲーは他に無い。
 確かにさかここ内にもヒロインとのイチャイチャも用意されてはいるが(そしてそれをセールスポイントと、しっかりメーカー側も認識しているようだが)、あのシナリオは結局、付き合うまでの苦闘でしかない。申し訳程度のイチャイチャは、単に付き合えたことへのご褒美でしかないのだ。
 誰も、フルプライスで一人ヒロインな、主人公とそいつが延々イチャつき続けるエロゲーなんて思いつかなかった。

・このエロゲーには苦境がない
 こいびとどうしですることぜんぶに複雑な分岐はない。
 二つきりに分かれるAルートでは、イチャイチャしたのち教会でクラス全員に見守られ子供たちだけの結婚式を挙げる。
 Bルートでは基礎体温を測って子供を作る。それが物語だ。
 何をどうしようと愛しあい続ける二人の前には、複雑な分岐が存在する余地がないのだ。
 こいびとどうしですることぜんぶに苦闘はない。
 あるのはただ、繰り返されるイチャイチャだけ。
 障害が生じなくもないが、基本的に立ち上がってくる問題が、主人公とヒロインのすれ違いあるいは愛によって解決する問題に終始しているので、解決イコール惚気なのである。
 エロシーンは驚愕の三十三回。フルプライス抜きゲーとしては当然である。一人ヒロインであることを考えると少々疑問符がつく。純愛ゲーであることを考えると異常である。大体の純愛ゲーは一人頭一回で終わりなのに。そして、そのエロシーンはあくまでイチャイチャのおまけでしかないのだ。そしてイチャイチャそのものでもある。

・教会で結婚式を挙げるということ
 Aルートのラストで、遠藤とくーりんは結婚する。
 それは子供たちだけの結婚ではあったが、クラス全員からの祝福となれば、それは学生にとっては世界のすべての約半分ともいえる。
 なぜ、クラスメートのおふざけ半分結婚式に、クラス全員が参画したのだろうか?
 それも、学校の近所の教会なんかじゃないのだ。たとえば学校で挙げた結婚式にクラス全員出席。美談だ。ありそうに思える。
 遠く離れた温泉街で、二人が来るかも分からない場所にクラスほぼ全員が待機してのサプライズ。そんなことがありうるのか?
 一体この学校に何が起きているのだろう?

・遠藤洋介という怪物
 主人公遠藤洋介は、情熱的っぽい(典型的主人公的な)性格設定により巧妙に隠されているが、完璧超人である。
 スポーツが得意である上に(スポーツ万能、とはいかないようだが、全てにおいて平均を遥かに超えるレベルと描写されている)、学業では平凡だった彼が、綺麗で優秀な家庭教師を得たのちに東京大学後期合格を果たす。
 なにより、学校最高クラスの美人とセックス漬けだ。
 そして、人格的にも優れている。
 偶然に偶然が重なって、二人共に参加することになった二人三脚で勝利した際は、くーりんの手を取り、共に勝利を喜んだ。
 彼しか、全てにおいて優れていて、誰もが敬遠していたくーりんの、手を取るものはいなかったのだ。
 そのことを鑑みれば、遠藤はくーりんには役者不足だという批判を(作中では親友たちに冗談じみてよく言われているが)見ないことも納得がいく。
 それどころか、作中においてくーりんが「元」天上人として学校社会に溶けこんでいく過程は、全てが遠藤に与えられたものだ。

 遠藤洋介は怪物だ。このゲームに苦境が起こらない理由(=物語上の障害が愛で解決される問題に終始する理由)の根は彼の人外性による。
 そしてそういう怪物を用いてまで描かれたものは、愛は最後に勝つというメッセージであり、呪いである。
 何人かの人間は、このゲームをプレイすることで、その呪いを刻み込まれ、苦しみを感じ続ける人生を送るだろう。
 そのメッセージを本当に真とした場合、誰かを本当に愛しているのなら、その戦いに勝たなければならないからであり、負けてしまったら、本当には愛していなかったのだということになるからである。
 こいびとどうしですることぜんぶとは呪いである。
 しかし、御伽話とはそういうものだ。
 こいびとどうしですることぜんぶとは御伽話である。
 そして、エロゲーとはそういうものだ。

・オンリーヒロインにおけるヒロインの好みの違反について
 くーりんは運動能力抜群、頭脳明晰、容姿端麗の超人であり、きわめて欲情的である。
 また、感情表現や集団への参加積極性が欠けている点で、欠点もしっかりと用意されており隙がない。
 またその感情表現の控え目さは、逆に彼女の愛情表現の切なさ、強さを際立て、こいびとどうしですることぜんぶの全てを宝石のようにきらめかせる。
 こいびとどうしですることぜんぶに、くーりん以外の女は要らない。

マブラヴ ALTERED FABLE

U☆☆ M☆☆☆

 かが時についてはイベントたくさんですごく面白かったけど(ビーチの個別シナリオには突っ込みどころもあったが)、純香が再構成した世界なのにこういうシリアスやって*1いい*2のか?
昼しかないhollowatalaxiaって感じでそこだけは本当にあまり評価できない 面白かったのに
この人ギャグはこういうシナリオしかかけないのか

トータルイクリプスについては特にツッコミはない
ショートストーリー集も欲しかったけどかが時があれだけ充実していれば文句はない

いろいろとオルタナティブについて再確認することができた
オルタナティブは学園パロの楽しさとループものの楽しさと異世界漂流系の楽しさを全部ごちゃまぜにしたものなんだなということ
友人キャラの去勢もここまで来たかということ そのおかげで旅館では武が手持ち無沙汰になってたし

あとオルタナティブもオルタブルも音楽室ねーのはサントラ買わせるためかな?
あまり好まないが商売だししょうがないな
と書いてから
 オルタのようにとてつもなく作り込まれた作品は、俺みたいな「作者は読者である俺の願望を全て満たさなければ殺す」と思ってる人間にもそういうことを許してしまえるようにできてしまうんだなと思った

*1:起きて

*2:と思ってる