名作紹介・「処女∞レイプ」 永遠の陵辱の飽和に終わりを

 処女には価値がある。それは検討するまでもない。
 なぜなら処女→非処女への移り変わりは不可逆だからだ。
 どれほど言い訳を並べ立てても、処女である少女Aと、非処女である少女Aがいて、他の構成要素(性格、容姿、来歴、技能)が全て同じだったとしたら、処女である少女Aのほうに高い価値が起こるのは当たり前だ。
 誰にもこのことは否定できない。

 ところで、フェティッシュという言葉の原義は、器物等人間に関係無いものに対する欲情である。パブロフの犬的な刷り込みであると言われることが多い。
 処女という言葉の重みをそんなもので説明しようなどと馬鹿げている。
 処女の持つ価値をきっちり歪んだ思考を持たずに価値と認識し、今まで保持したその女性への力量に対する評価をする者もいるだろう。
 処女が感じる性交時の激痛に惹かれる者もいるだろう。
 もちろん処女論者の多くは実は代償性処女性愛(造語)なのかもしれないが、何が言いたいかというと少なくとも、時間をループすることで処女を無限にレイプするという発想は、処女純粋価値論者のみに許されたイカれた思考だ。

・おかしいのはお前の頭の中だろ変態
 永久に続く11月1日の中に取り込まれた主人公は、自分がつい最近まで勤務していた女子学校の生徒瑞葉を、さまざまな方法でレイプし続けることを選ぶ。
 最初はただの性癖を満たす最高の餌としてしか瑞葉を見ていなかった主人公の感情は、やがて歪んだ情愛へと進んでいく。
 まだ見ぬ瑞葉を見たい。
 その思いを胸に、一切迷いなく強姦することだけに邁進する主人公。
 もちろんやっていることは全て犯罪である。
 しかし、一途なその姿は感動さえプレイヤーに与える。
 いや、これに感動を覚えない人間はどこかおかしい。

 では、彼は何かを手に入れることができたのだろうか?
 処女をレイプすることにしか興味がなく、どんなことにも無気力で、何もつかめなかった主人公の初めての渾身は、何かを彼に残したのだろうか?

・主人公が無限の世界で得たこと
 瑞葉を陵辱し続けてブッ壊し、主人公が得たものは、何もなかった。
 エンディングシーンは、些細なきっかけでループ世界を放棄することになって、瑞葉と楽しい世界が始まるかもしれないところから始まる。
 その「きっかけ」の描写においては、ループ世界では何も得られなかったことが、瑞葉の体の反応を全て知り尽くしたはずの主人公が、今までとは全く違った形で瑞葉と友人としてふれあい、笑顔、会話、活発さ、そういった全てのことに、新鮮味を味わい続けるエピソードによって強調されている。
 そしてループは終わった。主人公がこの「今日」がなくなってこのままループが続いてしまうのではないかと危惧したのとは真逆に、主人公が望んでいたとおりに。明日また「今日」の瑞葉に会えるように。

 しかしループが終えてなお主人公には何も残っていなかった。
 ループ世界での凌辱が仇となった。
 彼女は無意識下でループ世界の記憶を持っており、昨日あんなにも気を許せたはずの主人公を見て、パニック症状を起こしたのだ。

・全てのループ物は終焉せよ
 たとえばあなたが人生を自在にやり直すことができたとする。死ぬと自動で生まれた瞬間に戻る仕組みだ。
 あなたは大喜びでループを繰り返すかもしれない。
 もちろん世界は広大であり、あなた自身の生むバタフライエフェクトを考慮すると、あなたはおそらく何十兆年遊んでも遊び飽きないだろう。
 しかしやがていつの日かあなたは気付く、そろそろ何十兆年経ってきて、この世界にも飽きてきた。
 ああ、ここには明日はないし、明後日もない。ここは巨大な今日でしかない。
 いつの間にかあなたは自分が、同じ場所をぐるぐる回っているだけであることに気付く。
 どれほどの密度と範囲を持つループでも、そこからみちはなくなっていく。

 全てのループは、その構造的に知らないものを探し続けることはできない。
 どういう形でどういう期間でどういう条件で起こるループでも、その無限ループは永遠には、まだ見ぬものを見る体験をあなたに与えない。
 処女∞レイプの主人公はそのことを悟った。
 それはループ世界でのまだ見ぬことで、虚しい生を送る以前の主人公にとってもまだ見ぬことだったこと。
「『今日』したことは『明日』へ繋がり、『明日』したことは『明後日』へ繋がっていく」――

 人生をやり直したいと思ったことはあるだろうか?
 だが、全てのループには本質的に価値がない。
 仮にあるとしてもそれは、同じ処女を無限にレイプできる程度でしかない。