挑戦し続ける相思相愛ロリータシリーズに人参入りのパンケーキを

相思相愛ロリータシリーズをご存知だろうか。
ご存じだと思うので説明は省略する。*1

このシリーズについて、新作が上梓されるたびに「代わり映えのない作品」という感想がたまに見える。
だがそれは間違っている。
このシリーズは、骨子は変えないままに、新作のたび高度なバランス感覚のもと挑戦し続けている作品だと考える。

1、一作目「相思相愛ロリータ」
 おさらいのために一作目の基本骨格を記述する。
 相思相愛ロリータの主人公は疲れた社会人の青年男性である。さまざまな事情でまあまあ疲れており、孤独である。
 ヒロインは施設で育った少女。さまざまな事情でまあまあ後ろ暗い背景を抱えていて、孤独である。
 二人は満員電車の中偶然出会い、偶然が少し重なったきっかけののちにお互いがお互いに孤独を埋め合える存在だと確信し、セックスし、ヒロインが妊娠するエンディングを迎えて終わる。
 ヒロインの妊娠については一切の突っ込みはない。この後どうなるのか? 主人公はいよいよ捕まるのか? さっぱりわからない。ファンタジーとして処理される。一人ぼっちだった二人が、三人になれる未来という形で。


2、二作目「ゆびきり婚約ロリータ」
 まず二作目。「ゆびきり婚約ロリータ」では、ヒロインの少女が数年ごしに主人公の目の前に現れる。
 つまり、「現在」と「過去」の二つの年齢のヒロインと接するシナリオが展開される。
 言うまでもなく一作目ではそんなことはなく、出会い、絆を作るのみである。
 約束を表現するためにはベストの演出なのかもしれないが、かなり踏み込んだ演出手法であるはずだ。まずテキストやCG枚数の分量調整は大変だっただろうに。

 そして、ヒロインも「施設の女の子ではない」。
 プレイしたのが随分前だったのでだいぶ忘れたがたしか親類の女の子である。庇護者である祖母をなくしたために親族の中で行き場をなくしているという後ろ暗い事情はあるものの、初代ヒロインとはまた違う立場だ。


3、三作目「お泊り恋人ロリータ」
 三作目では、文学・聖書から引用されがちだった作品において、珍しく哲学的エッセンスが登場し、作品の骨格を占めるようになる。そして、生死論について論じたあとにヒロインが妊娠。
 ロリが出てきて生死論について論ずると言うより、生死論が出てきてロリについて論ずる作品という方が正しい。

 ヒロインは、近所のお屋敷の中で、「離れで暮らす妾の子」だ。彼女を世話するお手伝いさんに取り入って、ヒロインの生活を少しずつ温めていく。
 あと、性格として不思議ちゃん系だ。不思議ちゃん系というのはノベルゲームにおいて結構好き嫌いが分かれる立場なので、単独ヒロインのゲームではかなりの冒険が必要だったはず。哲学性によって味付けをした「お泊り恋人ロリータ」の作風と合わせることで緩和させるつもりだったのか、あるいは彼女のキャラクター性が先に来て、そののちに必然的に哲学の思考が現れたのか、俺にはわからない。


4、四作目「ハーレム双子ロリータ」
 ヒロインが二人になる。
 大変革だ。
 二つしかなかった変数が*2、三つになり、ヒロイン同士の関係性なども生まれる。相思相愛ロリータシリーズは存在論を経て複数の存在とやり取りするようになったのだ。

 一応ヒロインが二人になるというだけではない。
 ヒロイン達は初代ヒロインと同じ施設に生まれ育った子供であり、その施設はキリト系*3慈善団体を母体とする施設であることが語られる。
 主人公は施設の奉仕・ボランティアに関わり、なんとなく自分自身の孤独について考え、孤独を癒やす。

 1〜3作目の主人公が、ボランティア活動を始める描写は全くない。
 相思相愛ロリータシリーズだから「なるほど〜これが高まる心の塊なのか……」と流せるが、教会にハーレム双子ロリータが置いてあったら布教用にしか見えない。
 作者は一時期教会に通っていた時期があるというからさもありなんと言ったところか。

 むしろ教会に通っていた人間が教会の女の子を妊娠させるエロゲーを作るのはどうかと思う。*4


5、五作目「愛欲姉妹ロリータ」
 さて、最新作の五作目だが、この作品における変化は意外と見落とされがちだ。
 見落とされがちだが、確かにある。
 それは、主人公の職業に特殊性が付加され、その職業の特殊性によって、主人公がヒロインの現実に、ある程度のレベルで対処する描写があることだ。

 まず、物語序盤で主人公は、ヒロイン二人の住むマンションの一室が「DINKs向けの邸宅である」と看破する。これは彼が投資系の仕事を行っているからだ。少なくとも俺はマンションを見て「あ、これDINKs向けじゃん。良く出来てるな」とは考えない。
 次に、主人公はヒロイン二人の住む部屋が、「本来はDINKs向けの邸宅だが、彼女たちが生まれるまでは金持ち用のヤリ部屋だった」と看破する。これは彼が金持ちを相手にする仕事を行っているからだ。少なくとも俺はマンションの間取りを見て「あ、これヤリ部屋じゃん」とは考えない。もちろん、流石に、生活臭がなくて上品なベッドしかない都心のマンションの部屋とかを見れば「なんかこの間取りエロ漫画で見たな?」とはなるだろうが……。
 そして、主人公が元調理師だった経験を活かしヒロイン達に温かい料理を作るシーンがある。主人公がヒロインの周囲を丸め込む際、主人公と同じように演技がうまい同僚に、契約を横流しする代わりに協力を要請する描写がある。主人公の特殊性によってヒロインの現実を変える。

 その変化の萌芽は四作目からあった。
 一作目、二作目、三作目、俺はエロシーンの文章も通しで読んだつもりだが、「ヒロインの妊娠で起こる社会的なインパクトに対して対処する意思を見せた主人公は四作目が初めて」だったのである。多分。

 申し訳ないが元調理師である主人公がヒロインに料理を振る舞った時点で、ここで全く主人公に感情移入ができなくなってしまった。俺は調理師ではないし、調理師になったこともないからだ。
 初代〜四作目の主人公にバックボーンが全く設定されていなかったかというとそれは違っていて、たとえば初代では主人公がなんらかのコンペに応募したエピソードが出てくる。ただそれらは本筋には特殊性を伴って繋がってこなかった。ただ、自分ではない決定的な属性を持った誰かが、ヒロインに褒められた状況は、「ああこいつは俺ではないんだな」となるのに十分だった。

 五作目の変化が他プレイヤーにどう受け取られるかはわからない。



 作品を通し、「なぜ主人公とヒロインが惹かれ合うか?」「主人公が求めるべき答えとは何?」等、シリーズごとに当然みたいにテーマがアップデートされていてこっちはこっちで面白いのだが、そちらは今回の趣旨と合わないので省略する。


 シリーズ物において、大きく弾けずに順当にチャレンジを続けるというのはなかなか難しい。
 まあ当然といえば当然だ。人類がシリーズ物という概念に触れたのは、きわめて最近でしかない。
 変えなければマンネリと呼ばれいつの日か売れなくなる。変えすぎれば超高いそびえ立つ高度のクソの山ができる。

 四作目のヒロインは、人参入りのホットケーキを焼く。人参入りのホットケーキは、初代のヒロインの施設でも作られていた。
 
 願わくば、七作目でも、十作目でも、3n+1作目の裸エプロンシーンで、全く違う女の子が作る、人参入りのホットケーキに会えますように。*5

*1:相思相愛ロリータシリーズとは、一作目「相思相愛ロリータ」を初代とする、社会に疲れた青年男性と、さまざまな事情を抱えた少女未満の少女がお互いの孤独を癒やし合う、繊細で詩情に富む作風で有名なエロゲーである

*2:「相思相愛」の上司とか結構好きだったが

*3:キリトかなーやっぱw 俺って自罰傾向強い性格だしシスターとか好きそうって言われる() 性格診断とかでも「従順な子供」の数値が強い←バランスの良い性格がいいからやめろ!笑 俺、これでも成人ですよ? PS彼女は小妙似です(聞いてねえ

*4:なお、この文章の筆者は一度だけクリスマスミサに参加したことがあるが、ミサのプログラム中でなんとなく隣の席の人とやりとりをする感じ・仕組みが凄く腹が立って、周囲の人間を全員○して帰りたくなった

*5:実はこれは幸せな終わりではない。なぜなら、世界に「施設」が残されていることは、初代ヒロインや四作目ヒロインのような存在が残されていることは、常に我々の敗北だからだ。しかしながら、人参入りのホットケーキが消滅するべきだとは考えない。たとえ世界が幸せに溢れて世界から「施設」がなくなるハッピーエンドが訪れても、そのかげで、幸せを手に入れられない孤独な存在が残されているだろうから